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父が、死んだ 

1月15日、13時10分。

昼過ぎに病院から緊急の連絡が入り、母は自宅から、私と弟は職場から駆けつけたが、結局誰も間に合わなかった。
最期は一人で逝ってしまった。
本当にあっけなく、あっという間のことだった。

腸閉塞を起こして再手術をしたり、おかゆの食事と絶食を繰り返していたり、回復は順調とは言えなかったけれど、それでも、この頃は比較的病状は落ち着いていて、前日には、少し固めのおかゆになって、昼食も全部食べて、私と母とは「良くなってきてるね」と話をしたばかりだった。

朝方、少し血圧が下がったりはしたようだが、点滴を受けて一度は好転し、ドクターもさほど重大な状態だとは思わなかったという。
それが、昼前くらいから一気に血圧が低下し、その後は本当に真っ逆さまに落下するような勢いで心肺停止状態になった。
母が病院に着くまで、心臓マッサージを続けてくれたが、既に心臓は停止していて、戻ることはなかった。

私が病院に着いたのは、その10分後。
父の体には、まだ温もりが残っていた。

前にも書いたことがあったと思うが、父は家族の誰からも愛されていない人だった。
けれど最近は、精神科で処方された安定剤のせいか、性格が穏やかになり、「母さん母さん」と母を頼り、ドクターやナースにお礼の一つも言えるようになっていた。
それが、最期の兆しだったのだろうか。

私が最後に父と会ったのは、大晦日だった。
私の顔を見て、「うわーん」と声を上げて泣いた。
「正月くらいは家に帰りたい」と言った。
「うまいもんが食いたい」と言った。
「元気になって、家に帰ろう。今は辛抱して病気を治そうね」と言ったら、また泣いた。

母に髭を剃りなさいと言われ、電気シェーバーで自分で髭を剃っていた。
一足先に家に帰る予定だった私は、その後ろから「帰るよ」と声をかけた。
父は少しだけ頭をこちらに回して頷いたが、母が「そこじゃ見えんでしょ」と言ったので、父の横に回り、肩に手をかけて「じゃあね、頑張ろうね」と、もう一度声をかけた。
父はまた、顔を歪めて泣いた。

それが最後だった。

遅れて帰宅した母が、「正月だから,子供らにうまいもんを食わせてやれや」と父が言っていたと話してくれた。
時折、そんなしおらしいことを言ってびっくりさせる人だった。

正直、私たち家族は、別の覚悟を決めていた。
病気が良くなって家に帰ってきても、あの認知症の症状では、自宅での介護は無理だろう。
精神科か養護老人ホームなどに入ってもらうしかない。
それにしたって家族の負担は計り知れず、いずれ母も倒れ、家族総倒れになるかも知れない。

そんな私たちの心配を、見事に裏切ってくれた。
最後のわずかな月日で、母の心の氷をとかし、家族に愛されて死んでいった。
うまいことやりやがった。

死の前日、何の偶然か、父が夢に出て来た。
まったくの別人のはずなのに、顔だけが父のものすり替わっていた。
「お父さんじゃないでしょ!」と、夢の中で突っ込みを入れていた。
父自身に死の予感があったはずもないのに、あれはやはり、別れを言いに来たのだろうか。

今日、葬儀を終え、小さな骨壺に入って、4ヶ月ぶりに父が帰って来た。
葬儀社が用意してくれた祭壇に、ビールと初七日の折り詰めを供えた。

うまいもん、食いたかったでしょ。
ビール、飲みたかったでしょ。
奮発して、LAGERにしたよ。
発泡酒じゃないよ。

お父さん、幸せな人生でしたか?
大きな借金を抱えて苦労もしたけど、でもまあ、あれは自業自得だし。
家庭を省みず、ゴルフ三昧酒三昧。
家族サービスもなく、自分一人で遊び倒して、やりたいことはやってきたんだから、良しとしようよ。

でね、今はエルがいる。
エルのおかげで、私たちはもう笑ってるよ。
けらけら笑ってる。
運命というのか何なのか、巡り合わせというものはすごいものだね。
エルがね、居るんだよ、家に。
すごいよ、ほんと。

お父さん、じゃあね。
いつものように、「じゃあね」。

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年越しチャット 2007-2008 

終了しました。

参加いただいた皆さん、ありがとうございました。
次回があれば、また、よろしくお願いいたします。

今年も縁起がいいぜ 

年越しチャットの書き込み。

★ shi-sama@管理人 > おけおめ!今年もよろしく! (01/01-00:00:00)


こいつぁ春から縁起がいいぜっ!

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