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またね、富士丸。 

はっきりとした時期は思い出せないが、私が富士丸と出会ったのは、おそらく、治療の為に1年半以上家でゴロゴロしていた頃だったと思う。
出会った、といっても、インターネット上。
飼い主の穴澤さんのブログの中で。

富士丸の魅力というより、穴澤さんの文章が好きだった。
その頃の私には、穴澤さんが「疑いの目」と表現している富士丸の表情を読み取ることが出来なかった。
どれも同じ犬の顔だった。

その後、私は犬を飼った。
そうすると、今まで、同じ犬の顔としか見えなかった富士丸の表情を読み取ることが出来るようになった。

疑いの目。
期待に満ちた目。
嬉しそうに走り回る姿。
好きな人に甘える様子。

何より、父ちゃんこと穴澤さんへ向ける、信頼にあふれた目。

いつの間にか、富士丸は、「私のよく知る友人の犬」という存在になっていた。
実際に会った事もないのに。

去年の10月のある日。
会社のパソコンでいつものように富士丸のブログをチェックした。
しばらく更新されていないことが気になっていた。

そこが会社であったから、私は理性を保っていられた。
でも、仕事をしながらも、頭の中は繰り返し同じ言葉が浮かんでは消えていた。

「嘘だ。富士丸が死んだなんて。」

その日、仕事で遅くなり、深夜とも言える時間、家までの道を歩いていた時、突然嗚咽とともに涙があふれて止まらなくなった。
行き交う人は誰もいなかった。
人気のない夜道で、声をあげて泣いた。

辛かった。
会った事もない他人の飼っていた犬が死んだ。
それだけのことなのに。
辛かった。

「最期の時に、何故側にいてやれなかったのだろう。」

おそらく、そう悔いているはずの穴澤さんの想いが辛く哀しかった。

いつか別れの日は来る。
覚悟はしている。
ならばせめて、自分の腕の中で逝かせてやりたい。

それが、自分より先に死ぬとわかっている生き物を愛した者の願いだ。

その瞬間、何が起こったのかは想像するしかない。
けれど、きっと富士丸は、「父ちゃん」と呼んだに違いない。

「父ちゃん、助けて」なのか。
「父ちゃん、どこ?」なのか。
「父ちゃん、さよなら」なのか。
「父ちゃん、ありがとう」なのか。

何故、自分にその声は聞こえなかったのだろう。
富士丸の為なら、なんだってしてやると思っていた自分に。

穴澤さんの想い、まるでそのもののように、私は考えた。

家に帰ると、既にサークルの中に入れられていたエルが、私の帰宅した気配を察して暴れていた。

着替えもそこそこに、エルをサークルから出して抱きしめた。
エルの姿、色、毛の柔らかさ、臭い、声、あたたかさ。
全部を感じようと、しばらく抱きしめていた。


あれから一年。
時折、ふと、富士丸のことを考えることがある。

「最期に、キミは何を思ったの?」

いつもそう問いかける。
答えはもらえないけれど。


今日、富士丸の本を買った。
今まで断片的にしか語られていなかった、富士丸の死の直後、穴澤さんが何を思いどんな状況だったかを綴った本だ。

家に買って袋から本を取り出し、帯を読んだだけで泣いてしまう。
1ページ目から、ずっと涙が止まらない。
そして、「これが富士丸が最期に思った事だ」と確信できる場面で、そこから先を読めなくなった。

富士丸は、部屋のちゃぶ台にふらつきながらぶつかり、大きな体でちゃぶ台をひっくり返し、そして、いつも穴澤さんが仕事をしているデスクの足元に横たわって息絶えていたという。

そうだね。
富士丸。
最期は父ちゃんのところへ向かったんだね。
そこにいつも父ちゃんがいるから。
そこまで頑張って歩いて。
父ちゃんの足元に寄り添う夢を見ながら逝ったんだね。


私にも、いつか、その日はやってくる。
10年先かも知れないし、明日かも知れない。
もしかしたら、今、この瞬間かもしれない。

これから、そっとエルの眠る部屋へ行って、寝息を聞いてくるとしよう。
いや、私の足音で、きっと彼は目を覚ましてしまうのだろうけど。




またね、富士丸。またね、富士丸。
(2010/10/21)
穴澤賢

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